工場生産
AIHARA Masami
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 風のない天気のいい日だった。太陽はまだ完全に上りきっておらず、朝の冷涼な空気がかすかに残っている。布団を叩くパン、パンという音が遠くから聞こえてきて、向こうから小さな子どもを連れた若い母親が歩いてくる。
 築30年はたっているであろう古いアパート。赤く錆びた階段と、今にも朽ち果てそうな廊下。そばには、白い塗装がはげて、左の前輪のタイヤがない軽トラック。
 ゆっくりと近づいてきた黒いセダンが、その前に止まった。4枚のドアが同時に開いて、4人の男女が降りる。左後部ドアから降りた女以外は、全員が男だった。
 すでに役割は決まっていたのだろう。右の後部ドアから降りた男は一人でアパートの裏に向かって走っていき、残りの3人は階段を上りはじめた。意識しているのか足音をたてずに、ゆっくりとした調子で階段をのぼっていく。
 3人は奥から2番目の「205号室」と書かれたドアの前で立ち止まった。先頭を歩いていたミラーシェードをかけた若い男がドアの右側に立ち、年輩の男と若い女がその反対側に立つ。
「着きました」
 アパートの裏に回った男の声が、彼らが左耳にしているイヤホンから聞こえてきた。年輩の男がうなずくのを見て、ミラーシェードの男がゆっくりと人差し指で呼び鈴を押す。
 ブーという品のない音が、ドアの向こうから聞こえてきた。気配が動き、わずかに逡巡したあとドアを開ける音が聞こえてくる。ドア越しに気配を感じ、ミラーシェード男の右手が条件反射のように懐に入る。
「はい。どなた?」
 若い男の声。
「宅急便です」
 普段よりもわずかに高い声でミラーシェードは言う。言いながら、彼の右手はすでにIDカードを取り出していた。他の2名は、銃を握っている。
「ちょっと待ってください」
 チェーンを外すゴソゴソという音に続いて、カチャという鍵を外す音。回るドアノブをミラーシェードはなぜかじっと見つめていた。ドアがどこか遠慮がちに開いた瞬間、彼はそのわずかな隙間につま先をつっこんだ。
 犬の吠える声がする。
 トランクスにTシャツの若い男は、惚けたような表情でミラーシェードを見つめていた。瞳を覆う鏡質に写る自分の顔を見て、彼はようやく異常に気づいたのだろう。あわててドアを閉めようとするが、閉まるわけがない。
 ゆっくりとした宣告。
「札幌畜管だ。畜人管理法違反の疑いで強制捜査する」


 社会問題と化した移植用臓器の絶対的な不足と、奇形的に発達したバイオテクノロジーは喜劇と称するにふさわしい現実を演出した。
 家畜用人間の大量生産である。
 大量生産された人間は「畜人」と呼ばれ、まさに家畜の扱いを受けた。外見、生理的にも人間と全く同一の畜人であるが、だた一ヶ所だけ識別のために違う点がある。それは、ある波長の光をあてると皮膚が青く光る点である。
 遺伝子の段階から変えられた皮膚の特徴以外、人間と変わるところはどこにもない。ゆえに、国際的に畜人が認知され先進国で大量生産が始まると同時に、畜人の解放組織が出現した。
 彼らは「畜人は人間と変わるところがなく、この制度を廃し人権を与えるべきだ」と主張した。しかし、すでに畜人は誕生と同時に社会、とくに医療の分野に深く入り込んでしまいその分離はすでに不可能だった。
 畜人管理局は畜人を管理する行政組織であり、農林水産省と各都道府県、政令指定都市に置かれ、畜人生産者の監督と過激派組織に対する捜査を任務としている組織だった。


 青木の手がドアノブをつかみ思いっきりドアを開くと同時に、トランクス男は振り返り部屋の奥に向かって走り出していた。ミラーシェードを右手の人差し指であげながら芹沢が中に入り、そのあとを青木、佐々岡祐子が続く。
「札幌畜管だっ! 全員、動くなっ!」
 部屋は10畳一間程度のものだった。小さな台所とバストイレと思われるドア。カーペットも敷いていないタイルの床。6人の男女が芹沢を見ており、男が窓のさんに手をかけ足を乗せていた。
 芹沢の銃口が窓から飛び降りようとしている男に向けられた。銃にはレーザーサイトらしき物がつけられている。
「動くなっ!」
 その声に反応したように男が振り向いた。同時に、額に小さな青い丸ができる。芹沢の銃から畜人判別用の光線が出ており、彼の皮膚がその光に反応したのだ。畜人である証拠だ。
「やめろっ!」
 台所の前で両手をあげているトランクス男が叫んだ。他の男女は祐子の指示に従って、床に伏せている。トリガーにかけられた指に力がこもるのに反応したように、トランクス男がさらに叫ぶ。
「撃つなっ!」
 小さな部屋の中に轟く銃声は、奇妙にこもっていた。ドンという轟音と同時に男の額の青い丸が赤に変わった。男の目が見開かれて、芹沢を見る。着弾した衝撃で男の体がスローモーションのように窓の外に落ちていくのを、全員が見ていた。
 最初に動いたのは、青木だった。スーツの内ポケットからハンディ無線機を取り出すと、送話ボタンを押す。
「園田、死体を確認しろ。それと、本部に連絡して護送車の用意を」
 送話ボタンを切り無線機をしまってから、青木は怒鳴った。
「なぜ、撃った?」
「逃げようとしたからです。それから、確認はしました」
 はっきりとした口調で芹沢は答えると、銃をしまってトランクス男を見た。ゆっくりと近づいていく。
 祐子が芹沢にも聞こえる声で青木に報告した。
「あの男以外は全員、畜人です。確認しました」
 犬の吠える声が聞こえてくる。
「名前は?」
 トランクス男は答えなかった。わずかに表情を恐怖に歪ませながら、ミラーシェードに写る自分の顔から逃れるように顔をそむる。
 芹沢の右手が素早く動いて、男の頬を打った。パンという乾いた音が狭い部屋に響く。伏せている5人の体がビクンと震えて、青木が名前を叫ぶ。
「芹沢っ!」
 呼ばれて、彼は物憂げな感じで首だけ振り返った。伏せている畜人を立たせて玄関から外に出しながら、青木が顎で玄関をさす。早く拘束してつれていけ、という意味だ。
 ズボンから銀色に輝く手錠を出して、芹沢は平坦な声で言った。
「畜人管理法違反で逮捕する」
 無感動な瞳で男は自分の手に掛けられた手錠を見つめていた。


 鉄格子の入った窓。むき出しのコンクリートの壁。スチールのテーブルに、湯飲みに入ったお茶。
 安っぽいスチールの椅子に座ったトランクス男、斉藤は、最初から口をつぐんだままだった。彼の前には芹沢の後輩である田辺が座り、壁にもたれかかるように年輩の男、安岡が立っている。天井につけられたシーリングファンは何周しただろうか? 気づいたときには、沈黙が支配していた。
 逮捕されたときにはトランクスにTシャツという格好だった斉藤も、今は畜人管理局から支給された服を着て椅子に座っていた。質問には名前しか答えず、それ以外は一切、黙秘を貫いていた。
 トン、トン。
 ノックの返答を待たずにドアが開いた。脱色した髪にスーツ、という公務員にしてはちょっと異色な格好をした男だった。斉藤は顔を上げ、胸ポケットに入っているミラーシェードを見て顔を伏せる。
「何か、吐いたか?」
 芹沢の言葉に田辺は困ったような顔で首を横に振った。ドアを開けたまま芹沢は安岡を見て、
「安岡さん、替わります」
「そうか」
 安岡が部屋を出てドアを閉めてから、芹沢はゆっくりと斉藤に近づいていった。芹沢の存在を感じて斉藤は無意識のうちに顔を背けるが、彼は気にしていなかった。脱色している髪がテーブルの上のライトで輝いて妙に美しい。
「組織の名前は?」
 どことなく氷を思わせる声で芹沢が訊ねるが、斉藤は答えない。
「お前が属している組織の名前だ。それすらも言わないのか?」
 上体を曲げて芹沢は斉藤の顔をのぞき込む。
「お前みたいな末端のチンピラが名前も言わないというのは、組織の教育が行き届いている証拠だな」
「誉めているのか?」
「誉めてるんだよ」
 どこか馬鹿にしたような口調で芹沢は言うと、
「お前の部屋で見つけたディスク。PGPでロックされている。アレにはなんて書いてあるんだ?」
 斉藤はなにも言わない。
「お前……どうせ、畜人解放戦線だろ?」
 畜人解放戦線という言葉を聞いた瞬間、斉藤の体がわずかに震えたが芹沢は何も言わなかった。
「知らない。知っていたとしても、教えるわけがないだろ?」
 どうしても、斉藤のその声は虚勢にしか聞こえなかった。薄く微笑み、芹沢は上体を起こすと壁にもたれかかった。スーツの胸ポケットから煙草を出したところで、
「芹沢さん、禁煙です」
 と、田辺にたしなめれる。
「いいだろ? 誰に怒られるというわけじゃないんだから」
「灰はどうするんです?」
 言われて芹沢は根本的なことに気づいた。煙草をしまって斉藤を見やる。
「お前達は……斉藤よ」
「なんです?」
「畜人を愛しているそうだな」
「えぇ」
 うなずいて、初めて斉藤は芹沢の瞳を見た。見てわずかに視線をそらすと、
「あなただって家族を愛しているでしょ? それと同じですよ」
「じゃぁ、一つ訊くが……」
 一呼吸、あける。
「動物保護団体が畜人の保護を訴えて、お前らは畜人の解放を訴えている。この差はなんだ?」
「動物保護団体の連中は、あくまでも畜人を動物として扱っています。動物としての保護、残虐な行為の廃止を求めています。対して、我々は畜人を人間として扱っています。違うでしょ?」
「その通りだな」
 なぜ、芹沢が微笑みを浮かべているのか、田辺にはわからなかった。
「なら、畜人への愛情と組織への忠誠を秤にかけたとき、お前はどっちを取るかな?」
 何を言っているのか、田辺にも斉藤にもわからなかった。芹沢は手錠を取り出し斉藤の両手にかけると、
「立て」
 と、命じた。言われるままに立ち上がった斉藤を芹沢は外に連れていこうとしたが、あわてて田辺がそれを止める。
「芹沢さん、どこに連れていくんですか?」
「いいだろう。お前は黙ってついてこい」
 平坦な声で答えると芹沢はドアを開けて斉藤とともに外に出た。田辺もついていく。
 3人がついた先は、畜人管理局の入っている建物の地下にある管理局の射撃訓練室だった。いくつかのレーンがあり、その先にはフセインターゲットがぶら下がっている。だが、今はそのフセインターゲットは全て外されていた。かわりなのか、いつもフセインターゲットがあるあたりには、今朝、拘束したばかりの畜人がいた。
「私にこんな用意させて……」
 射撃台にもたれかかっていた祐子が不満げな声で芹沢に言った。もてあそんでいたオートマチックを置いて、彼女は斉藤の存在に気づいた。
「斉藤じゃない。こんなところに連れてきてどうする気なの?」
「吐かせる」
 ぶっきらぼうな口調で言うと、芹沢は懐から銃を抜いた。まっすぐに構えて照準をレーンの向こうに座っている畜人に向ける。
「ちょ、まさか……武史」
 祐子は芹沢の意図に気づいたようだが、斉藤と田辺は気づかなかった。不思議そうな顔で芹沢を見ている。
 ドンッ!
 銃声が轟き、芹沢以外の3人は反射的に耳を押さえて目をつぶった。銃声から半瞬遅れて、「ぐえっ」という悲鳴を聞こえた。その瞬間、全員が芹沢の意図を把握した。右膝を撃ち抜かれ涙を流して床を這う畜人を見て、斉藤が叫ぶ。
「あんたっ!」
 掴みかかろうとする斉藤を田辺があわてて押さえつけてから、芹沢は言い放った。
「お前が全て吐けば、アレを楽にしてやる。だが、吐かなければアレをなぶり殺すだけだ」
「たけ……芹沢さんっ!」
 わざと他人行儀に呼び直した祐子の意図は明白だった。
「どういうつもりなの? いくらなんでも、こんなことひどすぎるわっ!」
「家畜をいたぶって暗号が解ければ安いもんだ」
 あっさりと言い切り芹沢は斉藤に向き直った。両腕を田辺にしっかり押さえられていても彼には、まだ、芹沢をにらみつけるだけの元気があった。にらみつける斉藤の視線を冷たく受け止めながら、芹沢は言う。
「吐くか? あのディスクはなんだ?」
「貴様、絶対に殺してやるっ! 人間の命をなんだと思ってるんだっ!!」
「人間じゃねぇ、家畜だよ」
 言うなり、芹沢は引き金を引いた。銃弾が左膝を撃ち抜き、畜人はギャッと言う声を上げた。畜人には最低限度の教育しか施されていないから、当然、彼女は銃なんてモノを知らないし、銃弾で撃たれたこともわからない。ただ、本能で彼女は逃げようとしているだけだった。
「動物保護の観点からもやめるべきですっ!」
 祐子が叫ぶように言うが、芹沢はすでに彼女の叫びに耳を貸してはいなかった。
「斉藤よ。このままアレの苦しみを長引かせる気か? それとも、吐くか?」
 血も出んばかりの力で斉藤は唇を噛みしめたが、噛みしめるだけで何もできない。にらみつけ、噛みしめながら、組織と畜人に対する愛情を秤にかけている。ミラーシェードをかけていなくても芹沢の瞳はどこまでも冷たくて、それが自分を責めているように斉藤には思えるのだ。
 声にならない畜人のうめきが、壁に反響して斉藤に聞こえてくる。思わず耳を塞いでしまうが、それでも聞こえてくるような気がする。いつの間にか、叫んでいる自分に気づいて信仰していない神に祈りを捧げた。
 腹の底に響くような銃声を聞いて、はっと斉藤は顔を上げた。右の太股を撃ち抜かれた畜人は、もはや両腕だけで床を這っていた。血の跡を残しながら、あてもなく床の上を這っていく。
「どうする? 斉藤?」
 声が聞こえる。畜人の声だ。言葉にならない、言葉がわからない畜人のうめきのような声。嗚咽と涙の入り交じった声に、斉藤はもう耐えきれなくなっていた。声が耳の中でどこまでも反響していくような気がして、
「やめてくれっ! 秘密鍵はJR手稲駅のコインロッカーの中だっ!!」
 気づいたら、叫んでいた。
「ロッカーの鍵は?」
 斉藤が血を吐くような思いで言葉を吐き出しているのに対して、芹沢の言葉はあくまでも氷だった。
「部屋にある靴の踵。2重になっていてその中にある」
「ディスクの中身は? 当然、見てるんだろ?」
「襲撃計画だ。”サーカス”という居酒屋を襲う計画が書いてあるっ!」
 斉藤の言葉に田辺と祐子は驚きの瞳で顔を見合わせたが、芹沢はあくまでも表面上は冷静に見えた。冷徹な瞳で斉藤を見下ろし、
「わかった。約束通りアレを楽にしてやる」
 その言葉を聞いた瞬間、斉藤は安堵の表情を浮かべたが、銃声を聞いてそれはすぐに怒りへと変わった。芹沢は何の躊躇もなく、畜人の額を撃ち抜いたのだ。声も上げずに死んだ畜人を見て、
「なんで、撃ったんだっ!」
 田辺はあわてて力を込め、暴れる斉藤をどうにか押さえ込んだ。暴れながら目は殺さん勢いで芹沢を見ている。その視線にはありったけの憎悪と怒りがこめられていたが、それでも芹沢は瞳を見返していた。
「苦しみを終わらせてやっただけだよ」
 ただ、芹沢はそれしか言わなかった。


 わずかに蒸し暑い部屋に、TVの音だけが響いていた。忙殺の中のちょっとした隙間の時間。オフィスの住人のほとんどは出払っており、残っているのは芹沢と祐子、若いのが数名だけだった。
 天井でゆっくりとシーリングファンが回っており、その影が部屋にわずかな動きを与えている。車の音が右から左に動いていくのを、妙に鋭くなった聴覚がとらえた。
「動物保護団体などは、映画などの撮影や風俗産業などを畜人の虐待だとして訴えていました。最近になってこの動きが法案提出になるまでになったのは、動物保護団体の運動が議員を動かした結果と言えます」
 女のキャスターの声が妙に興奮して聞こえる。ぬるくなった缶コーヒーを飲む。
「今週末にも国会に提出される予定の”畜人保護法案”は、超党派の議員によって構成された”畜人を考える会”によるものです。この法案に対して、民自党などは反対の姿勢を表明しておりますが、支持母体である動物保護団体などは党の姿勢に猛反対しており予断は許さない情勢です」
 名前を呼ばれて芹沢と祐子は立ち上がった。戸口のところで若い同僚が呼んでいる。
「課長が第二会議室に来いって」
「この畜人保護の動きに対して、農林水産省は次のようにコメントしております」
「動物保護団体が言っていることは……」
 後ろ手に芹沢がドアを閉めた瞬間、ニュースの声が聞こえなくなった。短い廊下を歩いて、第2会議室に入る。部屋の中には、課長しかいない。
 課長の言葉も待たずに芹沢は長机を挟んで向かいに座った。祐子はちょっとだけためらいながらその隣に座って、座ってから課長の表情をうかがう。上司に別室に呼び出されるなど滅多にないから、それだけで祐子は緊張しているのだが、芹沢はそのような様子を見せていなかった。
「例の襲撃計画だが……」
 課長の視線が微妙にずれていることに、芹沢は気づいた。
「サーカスの件、ですか?」
 祐子の問いに、課長はわずかにタイミングをずらしてうなずいた。
「今日、19時の目標時間にあわせて、18時半には部隊を店に入れる予定ですが……なにかあるんですか?」
 祐子の言葉は課長の様子を考慮していない純粋な疑問だったのだが、純粋ゆえに課長の気持ちを揺るがした。わずかに動揺した表情を見せて課長は体ごと視線を横にすると、苦しそうに言ったのだ。
「その計画だが……見逃すことにした」
 はじめ芹沢と祐子は課長が何を言っているのか理解できなかった。耳で聞いてから理性がその言葉を咀嚼して理解するまでにしばらくの時間を要した。
「どういうことですか?」
 いつもより低めの声で芹沢が訊いた。課長も腹をくくったのだろう、体の向きを直して芹沢と正面に向き直ると、
「我々は今回の事件を未然に防ぐことはしない。見逃すということだ」
「つまり、連中が居酒屋で銃をぶっ放すのを知っていて知らぬフリをするということですか?」
「そういうことだ」
 どこか苦々しげにうなずく課長を見て芹沢は感覚的に背後の事情を悟ったのだが、祐子にはそこまでできないようだった。彼女は椅子からわずかに立ち上がると、興奮した口調で叫ぶように言ったのだ。
「そんなっ! そんなことできませんっ!!」
「できなくてもやってもらう。上からの命令だ」
「……課長」
 芹沢の口調はどこかさとすようだった。
「上は何を考えているんですか? テロを見逃すっていうのは……」
「高度な政治的判断だ」
 課長の口調はひとり言めいていた。
「政治家達の多くは畜人保護法案に対して密かに反対している。だが、支持母体の一つである動物保護団体の力と選挙が近いことを考えると、おおっぴらに反対を言える状態ではないのが現状だ。そこで、テロリストどもに派手な事件を起こしてもらって……」
「世論の反畜人感情を煽るってわけですか?」
 課長の言葉を芹沢が受け継ぎ、彼はゆっくりと顎を引くようにうなずいた。
「納得してくれるか?」
 課長の念を押す言葉に芹沢と祐子は何も言わなかった。まだ何かを言おうとする課長を芹沢は一瞥すると、すっと立ち上がる。
「芹沢っ!」
 芹沢の意志を察したような課長の言葉だったが、彼は何も答えなかった。


 札幌、ススキノ。歓楽街として名高く、立ち並ぶ雑居ビルには多種多様な店が入っている。ごく普通の飲み屋から、得体の知れないバーまで。ススキノは無限とも思えるどん欲さで欲望を吸い込んでいくのだ。
 サーカスは、そんなススキノよりもわずかに札幌駅よりの雑居ビルの5階にあった。うまい畜人料理を食わせる店として有名で、店の雰囲気や味も良く値段も安いとあって人気の店だった。
 実際のところ、畜人料理はそれほど広まっているわけではない。畜人とはいえ人間と同じだから、やはり抵抗感がある。食材として一般家庭に浸透しているわけではないし、普通の店屋でもまず扱わない。ゆえに、専門料理店が存在し人間の飽くなき好奇心の受け皿となっているのだ。
「何名様ですか?」
「二人だ」
 ミラーシェードを外しながら芹沢は店員に答えた。
 18時40分。
 店の中は洋風で芹沢と祐子に良い印象を与えた。今度、プライベートで使っても良いと思ったほどである。店は6分程度の入りで若い男女が多い。酒を飲みながら物珍しげに畜人料理を食しているという感じだ。
「お席をご案内します」
 ウェイトレスが言い案内しようとしたが、それよりも早く芹沢は言う。
「席を指定してもいいか?」
 肯定の返事をもらうよりも早く彼は奥の一席を指さした。ウェイトレスは訝しげな表情で芹沢を見たが、否定する要素はないので彼女は二人を言われるままの席に案内する。荷物を置き芹沢と祐子が着席するのを待ってから、ウェイトレスはメニューを二人の前に広げた。
「まず、お飲物をお願いします」
 メニューを見ずに芹沢が「ビール」と答えると祐子は顔をしかめたが、彼は注文を変えなかった。あきらめた表情で祐子が「ウーロン茶」と言うと、ウェイトレスは「かしこまりました」とテーブルから去っていく。
「仕事中なのにアルコールを飲むなんて、どういうつもり?」
「仕事じゃない。趣味だろ?」
 芹沢の言葉に祐子は何も言い返せなかった。二人がここにいるのは仕事ではなかった。全く個人的な意志でこの時間のサーカスにいるのだ。課長の言葉に逆らいテロを防ごうと思い、二人はやってきたのだった。
 不思議なことに芹沢と祐子はお互いの意思を確認しあわなかった。まるで、それが当たり前であるかのように、二人は銃を持ってここに向かったのだ。それぞれが銃を持ち、芹沢の小さなアタッシュケースの中にはいくつかの小火器と手榴弾が入っている。
 冷えたビールとウーロン茶がやってきた。適当な料理を2、3品、注文する。注文を聞いてからウェイトレスは厨房に消えていった。
 ビールを一口飲んでから
「今なら戻れるぞ」
 と、まるで、自分に言い聞かせるように芹沢が言った。その言葉を聞いても祐子の表情は変わらない。彼女は表情を変えずにウーロン茶のグラスを両手で持つと、
「私は自分の意志でここにいるの。あなたに連れてこられたわけじゃない」
「全てを失うかもしれないぞ」
 店のただ一つの出入り口を見つめながら、芹沢が口調を変えずに言う。彼がこの席を選んだ理由はただ一つだった。店の中で一番、見晴らしがいい。無理な体勢を取ることなく店の出入り口を中心に周囲を見渡すことができるのだ。
「あなた以外、失うモノはないわ」
 料理が一品、置かれる。畜人のもも肉を卵でとじた料理だ。料理を見つめながら芹沢がビールを飲んだ。冷たいはずなのにぬるい。時間は、18時52分。
「料理、食べるか?」
 芹沢の問いに祐子は首を横に振った。
「いらない。食べれるわけないじゃない」
 若い男女が入ってきた。男の腕に女がぶら下がるような格好だ。ウェイトレスに案内されて二人は芹沢の横を通過していく。一瞬、彼の顔に緊張が走ったがそれもすぐに消えた。
 口の中が乾く。渇きをいやそうとしてビールを飲んで、やっぱりぬるい。
「なぁ、ぬるくないか?」
「私もウーロン茶が冷たくないのよ」
 どこか悲しげな祐子の言葉だった。右手で脱色した髪をかき上げると、芹沢はなぜかミラーシェードをかけた。5人の団体が入ってくるのが見える。ウェイトレスがおきまりの台詞を投げかけるが、1人の男がそれを無視して店の中に入ってきた。
 壁の時計を見る。18時55分。
 男がカウンターの前に立った。女の視線が妙に鋭いのが気になる。ゆっくりと芹沢は立ち上がった。ウェイトレスが芹沢達のテーブルに向かって料理を持ってくる。
「祐子……」
 ほとんど囁くような芹沢の声だったが、祐子にははっきりと聞こえてきた。先ほどまでほとんど気にならなかった近くのテーブルの馬鹿騒ぎの音が、今は妙にはっきりと聞こえる。
「愛してるよ」
 どうして、芹沢がそんなことを言ったのか、それは彼自身にもわからない。
 出入り口に立っている女が、持っているカバンからサブマシンガンを取り出した瞬間、芹沢も懐から銃を抜いていた。抜きざまの銃弾が、女の右目を撃ち抜き銃弾は彼女の頭を貫く。
「はがっ!」
 悲鳴にもならない声を上げて、女が仰向けに倒れていく。妙にゆっくりとその動きを感じながら、芹沢は引き金を引いていた。ハンドバックから銃を取り出して、祐子も振り返るように立ち上がる。
 悲鳴が上がった。男がなにか声を上げ、それに応じたように3人がサブマシンガンを乱射しはじめた。どこに身を隠すというわけでもなく、芹沢はさらに引き金を引く。2回、続けて。
 ジーンズ姿の若い男の胸にパッと赤い花が咲いて、彼は大きくのけぞった。のけぞった拍子で引き金の指に力がこもり、天井に向かってサブマシンガンが連射される。細かい銃撃音を聞いて、若い女の子の悲鳴があちらこちらから上がった。
「札幌畜管だっ!」
 叫んでから、芹沢は体をテーブルの影に沈めた。テーブルの上を数発の銃弾が跳ねていくのがわかる。
「全員、伏せてっ! 札幌畜管よっ!!」
 金切り声にも似た声で叫び撃ちかえしてから、祐子は芹沢の顔を見やった。
「どうして、札幌畜管だなんて名乗ったのよっ!」
「さぁね。習慣だろ?」
 答えながら、4発、撃ちかえす。実効は期待していない。威嚇のための牽制射撃だ。一瞬、銃撃音がやむがすぐに再開されて、いくつかの悲鳴が聞こえてくる。やみくもに芹沢は連射して、マガジンを素早く取り替えた。
 視界のすみで、時計が19時をさすのが見える。
 カウンター前の男が手を挙げて、何かを叫ぶように言った。相変わらず何を言っているかはわからない。言葉のようだが、芹沢の耳には意味があるようには聞こえてこないのだ。
「奴ら、撤収する気だな」
 出入り口からエレベーターホールに移動する2人を見て、芹沢はつぶやくように言った。追おうと芹沢は体を起こしかけたが、カウンター前から出入り口に移動した男がサブマシンガンを乱射したために彼の動きは一瞬、止まる。
 男の姿がエレベータホールの方へ消え、芹沢と祐子は身をかがめて店の入り口に向かった。そのまま、エレベーターに向かおうとしたがエレベーターの中で男がサブマシンガンを構えているのを認め、二人は壁に身を隠す。
 鋭い連続した着弾音が聞こえて、
「ぐっ」
 という、短い悲鳴を芹沢は上げた。
「武史っ!」
 祐子は叫んで芹沢の傷を見ようとしたが、彼はそれを振りきって銃撃がやむと同時に飛び出した。エレベーターホールの短い距離を走って、ドアが閉まりかけているエレベーターに倒れるように走り込む。
 祐子が乗って、エレベーターのドアは閉まった。「1」のボタンを押してから、彼女は壁にもたれるようにして立つ芹沢の足を見た。
 右の太股を中心にしてズボンが赤く染まっている。
「大丈夫っ! 武史?」
「あぁ……だ、大丈夫だ」
 額に脂汗をにじませて芹沢は言うが、祐子はその言葉を額面通りに受け取る気にはならなかった。
「もう少しで警察が来るわ。彼らに捜査は任せて、病院に行きましょう」
「弾はかすっただけだ……ひどい傷じゃない」
 答えながら芹沢は懐から錠剤の入った小瓶を取り出すと、白い錠剤を2つ無造作に飲み込んだ。エレベーターが一階につく。
「それ……なに?」
「DUNE」
「それって……アップ系のドラックじゃん」
 あきれた祐子の言葉を背にして、芹沢はエレベーターから飛び出した。近くにいた女を左手で突き飛ばして、彼は外に出ようとする。
 自動ドアの前に止めてある白いワゴン。それに乗り込もうとしている男は、あのサブマシンガンの男だった。芹沢の存在を感知して自動ドアが開きはじめ、銃口がそのわずかの隙間からワゴンに向けられる。
 引き金を引いた芹沢が近くの壁の影に飛び込んだ瞬間、細かい銃声とともに自動ドアのガラスが一斉に割れた。ワゴンから男がサブマシンガンを乱射したのだ。激しい音を立てて割れる自動ドアのガラスを見て、歩道を歩いていた女性が悲鳴を上げる。
 運転席の女がワゴンを発車させようとするが、芹沢の銃弾はワゴンのタイヤを正確に撃ち抜いていた。それに気づいてサブマシンガンや銃を乱射して牽制しながら、3人のテロリストはワゴンを降りビルとビルの隙間へと消えていく。
「追うぞ」
 囁くような芹沢の言葉。祐子が何か言う前に、すでに彼は3人を追って走りはじめていた。


 課長がサーカスについたとき、すでに現場観察は終わっていた。先行してサーカスに到着していた田辺と安岡によって現場は掌握されており、サーカスの客や従業員など事件に関係した人間は全て店内の一カ所に集められていた。
「間違いないのか?」
 部下の報告に課長は耳を疑った。テロリストが銃撃を始めると同時に、店内にいた男女が反撃を開始した、だと?
「本当に札幌畜管と、名乗ったのか?」
「間違いありません。複数の人間が聞いています」
 その言葉に課長は苦虫をかみつぶすと、まだ、混乱が収まってない繁華街を見やった。欲望が渦巻く夜のススキノに潜り込んだテロリストたち……
「芹沢か……」
 苦々しげに呟くと、課長は矢継ぎ早に指示を飛ばし始めた。


 人気のない路地裏で自分の走る音だけが、ビルの谷間に反響していく。汚い水たまりに足を突っ込んだ音。喧噪だけしか存在しないと思っていたススキノに、こんな空間があったとは。芹沢は今更ながらに驚いていた。
 影を追って、先の路地裏を左に曲がる。
「止まれ!」
 芹沢の銃口と視線の先に、走り続ける男の影。だが、影は芹沢の言葉を無視して走り続けた。銃声が轟いて、男の影が前につんのめるように倒れる。かすかに息を切らせながら芹沢は走り寄ると、油断無くうつぶせの男に銃を突きつけた。
 男の手からこぼれた銃を拾い上げて、芹沢は男をゆっくりと見下ろす。芹沢の銃弾は正確に男の左膝を撃ち抜いたらしく、左膝を押さえる男の手の間からは鮮血が溢れだしていた。
「俺の言葉はわかるか?」
 だが、男は芹沢の理解できない声で答えた。どこかで聞いたことがあるな……と思いながら、芹沢は足で男の体を仰向けにする。
 額に青い小さな光。畜人だ。
「最近の解放戦線は畜人も使うのか……」
 独り言のように呟くと、無表情のまま芹沢は引き金を絞った。ドンッという重い音がビルの谷間に響いて、反響した音が芹沢の耳を打つ。
 殺気。
 夜の空を見上げると同時に、芹沢は後ろに飛び退いた。半瞬先まで芹沢がいた空間を、錆びた鉄パイプが切り裂く。別の男。襲撃犯の中にいたな。芹沢は体勢を作ると、銃を構えようとした。
 だが、男の動きの方が早かった。男が突き出した鉄パイプは正確に芹沢の銃をとらえ、はじき飛ばしたのだ。背中越しにベチャッという、泥の中に銃が落ちる音が聞こえる。
 連続したモーションで繰り出された二突き目を屈み込むようにかわすと、芹沢は一気に男との間合いを詰めた。そのまま、勢いをのせた右ストレートが男の顎を打つ。
「がぁっ」
 声にならない声を上げてのぞける男の襟首と袖をつかむと同時に、芹沢は男の足を払った。倒れ込む男の体の上に全体重をかけ、着地と同時に肝臓の部分に肘を打ち込む。蛙の潰れたような男の悲鳴を聞いて、芹沢は立ち上がった。
 ベルトの後ろのホルスターから銃を抜く。
「そこまでよ」
 女の声。聞き慣れた声を聞いて顔を上げた芹沢は、自分の目を疑った。路地裏の交差点で、祐子が銃をかまえていたのだ。自分に向けられた銃口、祐子のそばに立つ男は襲撃犯の最後の一人だった。
「……祐子?」
 なにを問うているのかは、芹沢にすらわからなかった。ただ、芹沢は銃を中途半端に握りながら、うつろな視線で祐子を見るだけだ。
「武史、銃を捨てて」
 そう言ってから祐子は、芹沢に理解できない言葉で何かを言った。芹沢の足下でうずくまっていた男が、よろよろと立ち上がろうとする。あわてて芹沢は銃を握り直すと、強い調子で男に言った。
「動くなっ!」
「武史っ!」
 叫ぶように言うと祐子は、またわけのわからない言葉で何かを言った。男がのそのそと立ち上がって、足を引きずりながら祐子たちの方に向かってゆっくりと走り出す。芹沢は銃を持ち上げると、足を引きずる男の背中に狙いを定めた。
「武史、撃たないでっ!」
「お前は、なんだ?……祐子」
 血を吐くような芹沢の声と、銃声はほとんど同時だった。男の背中に血の赤い花が咲いて、「ぐえっ」という声とともに泥の中に倒れ込む。べちゃという音。続いて、祐子の銃が哀しげに咆哮した。
 銃弾が芹沢の左肩を撃ち抜く。だが、彼は声一つあげなかった。声一つあげずに、ぐっと唇をかみしめて、祐子に鋭い視線を突きたてる。
 引き金をしぼる。銃声が轟いて、祐子のそばに立っていた男の額を撃ち抜いた。どうっと音を立てて、男の死体が泥水に沈む。
「なぜだ……?」
 問うてから芹沢は首を横に振った。
「いつから、解放戦線に?」
「正式なメンバーじゃないわよ」
「……だろうな」
 互いの心を探るような会話。押収してきた畜人解放戦線の書類の中に、祐子の名前はもちろんのこと存在すら記されていなかった。畜人管理局の人間ということで、祐子の存在は解放戦線の首脳部しか知らなかったのだろう。
「今日の襲撃事件もお前が手引きしたのか?」
 いつの間にか強みを増していた芹沢の台詞に、祐子は弱々しげに首を横に振った。
「違うわ……と言っても、信じてもらえるかしら?」
 じっと自分を見つめる芹沢の視線が、祐子にはなんだか痛かった。早くここから逃げ出したいという欲求に駆られながらも、唇は言葉を紡いでいく。
「私は、今回みたいな無差別なテロには反対してるから」
「話し合いによる穏健な解放か?」
 皮肉混じりな口調で言うと、芹沢は鋭い視線を祐子に突き刺した。
「なぜ、だ? 理由を教えてもらえないか?」
「畜人と私たちにどんな差があるっていうの? なにもないじゃない……」
 祐子の最後の台詞はどこか寂しげだった。
「気づいてしまったのよ、私は……」
「気づいたって……なに、に?」
 芹沢の言葉をきっかけとして、祐子は堰を切ったように話しはじめた。
「彼らと私たちに差はない! そう、なにもないのよ!! 教育をすれば言葉を喋ることもできるし、社会生活もできる」
 そこで、言葉が切れたのは祐子の意志とは関係なかった。
「ただ……」
 涙をふく。
「工場で生まれただけなのよ」
「それだけか?」
 芹沢の口調は、まるでバケットの中のパンを選ぶような口調だった。冷や水を浴びせかけられたように、祐子の感情が急速に冷めていく。
「え?」
 銃声。
 反射的に祐子は目をつぶった。だが、銃弾は彼女の足下の泥水をはぜただけだった。恐る恐る目を開ける。そこで祐子が見たのは、背中を見せて歩き始めていた芹沢だった。
「なんで……?」
 恋人の声にも、彼は足を止めなかった。ゆっくりと歩き去ろうとする芹沢の背中に向かって、祐子は言葉を投げつける。
「なんで、殺さないのよっ!」
 それでも、芹沢は立ち止まらなかった。答えるかわりに、左手を挙げて手をゆっくりと振る。芹沢がなにを選んだのかはわからない、だが、少なくとも祐子を殺すことは選ばなかったようだった。
 彼女はその場に立ちつくしたまま……
 彼はゆっくりと歩きながら……
「ついてねぇなぁ……まったく」
 そして、呟く。
「殺せるわけねぇだろ」
 煙草に火をつけた。


The END


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