こんな想い、生まれてこなければ良かったのに
AIHARA Masami
[index][mail]

4月2日
 今日、絵美ちゃんに告白された。放課後に呼びだされて校舎の裏につれてかれて、絵美ちゃんはずっと黙ったままだった。
 黙ったまま5分ぐらい過ぎて、僕が帰ろうとしたとき、ようやく絵美ちゃんは僕に「好きだから、つきあってください」って言った。
 なんで、僕のことが好きなんだろう? 僕は絵美ちゃんのことが好きでもなんでもなかったけど、つきあってる人なんていなかったら「いいよ」って答えた。
 姉さんも、こんな風に誰かに言ったことがあるんだろうか?

4月5日
 学校で絵美ちゃんにもらったクッキーを、家で食べていたら姉さんにからかわれた。
 こんなもんくれたりするから、僕に彼女がいるってことが姉さんにばれたじゃないか。明日、絵美ちゃんに言わなきゃ。

4月8日
 土曜日に絵美ちゃんと遊園地に行く約束する。

4月9日
 姉さんに、土曜日、買い物につきあってと言われたので、絵美ちゃんとの約束を別の日に延ばそうとしたら、逆に姉さんに怒られた。
「彼女の方を大事にしなさい」って……
 僕は姉さんの方が大事だから、僕は姉さんとの約束を優先しようとしたのに。なんだか、納得いかないな。

4月10日
 あんまり遊園地は楽しくなかった。こんなことなら、姉さんと買い物に行けば良かった。

4月15日
 姉さんに土曜日、映画を見に行こうと、誘われたから、絵美ちゃんに土曜日、遊びに行けなくなったことを電話で言った。なんか、絵美ちゃんの声がすごい悲しそうだった。
 でも、姉さんと一緒に映画に行けることはすごく嬉しい。

4月17日
 姉さんと一緒に映画に行った。すごく楽しかった。やっぱり、姉さんと一緒にいるのが一番、楽しい。
 ずっと一緒にいたいな……姉さん。



 僕は、ゆっくりと手の中のナイフを握りなおした。何時間も握り続けているように思えたけど、一向にナイフは暖かくならなかった。
 立ち上がり、窓のそばに立つ。
 狙撃をおそれて閉めているカーテンに、少しだけ隙間をつくって外を見てみた。見るか見ないかうちに、すぐにカーテンを閉めて、もう一度、隙間を作る。
 そこには変わらず、何台かのパトカーと多くの警官がいた。警察と家を取り囲むように、マスコミと野次馬。
 神経質にカーテンを閉めると、僕は部屋の中に視線を転じた。
「ねぇ、もう……やめようよ」
 か細い声に、僕は何を言っていいのかわからなかった。



4月20日
 絵美ちゃんの態度がおかしい。僕に急に冷たくなった。理由を聞いても、何も言ってくれない。怒って、すぐにどこかに行ってしまう。
 どうしたんだろう? 絵美ちゃんのことはどうでもいいけど、急に態度が変わるのは気になる。

4月21日
 絵美ちゃんが怒っている理由が、やっとわかった。
 土曜日、僕と姉さんが街の中を歩いているのを偶然、見てしまったのだ。
 絵美ちゃんに姉さんと一緒に歩いていたことを話したが、信じてもらえない。姉さんだったら、なんで手をつないでいるの? って、言われた。
 姉さんと手をつないで歩くのが、そんなにおかしいのかな?

4月22日
 よかった、姉さんは僕と手をつないで歩くのを嫌がってなかった。
 やっぱり、おかしなことじゃないんだ。
 これからも、姉さんと手をつないで歩くことができる。

4月25日
 今日、姉さんとキスをした。
 夜、姉さんの部屋に遊びに行くと、姉さんが泣いていた。どうしたの? って、聞いても、なにも答えてくれない。放っといて、って言われたけど、放っておけるわけがなかった。
 姉さんは、僕の前でずっと泣いていた。泣き続ける姉さん。肩を震わして、今にも壊れそうな姉さんを見ていたら、どうにもできなくなって、僕は姉さんの肩を抱きしめた。
 姉さんの泣き声が大きくなる。泣き声の中で、「のせいだからねっ!」と僕を責め続ける。
 どうして、僕のせいなのかわからなかった。姉さんが泣き続ける理由もわからなかった。そのとき、僕にできることと言ったら、姉さんを抱きしめ続けることだけだった。姉さんが望んでいるから、僕は姉さんを抱き続けた。
 真っ暗な部屋の中で、いつの間にか見つめあう僕と姉さん。
 そして、それが当然であるかのように僕たちはキスをした。



 暗い部屋の中。僕と姉さんは、ふたりっきり。これこそが、僕の望んでいた世界だった。
 カーテンの向こう、外の世界には警官がいたり、空からはヘリコプターの音が聞こえたりするけれど、僕たちには関係のないことだった。僕は姉さんに近寄り顎をつかんで強引に顔をあげさせると、乱暴にキスをした。
「姉さんは……僕のことを好きだよね?」
「好きよ」
 はっきりと、姉さんは答えた。疲れ切った瞳で僕を見上げて、
「愛してるけど、だからって、こんなこと……」
「それだけわかれば、いいんだ」
 なにがいいんだろう? 僕は自分で言っておきながら、自分の言葉に疑問を感じていた。僕にとって、最も重要なことは何だろう? 姉さんの存在? 僕自身の生命?
「そうだ」
 僕は姉さんのそばを離れると、部屋のドアを開けた。
「母さんの様子を見てこなくちゃ……」



 ベットの中。僕の下で気持ちよさそうにしている姉さんは、本当にきれいだった。
 僕と初めて一つになったときの、姉さんの顔、今でも覚えている。やっと、やっと、結ばれて、喜びに満ちていた僕と姉さん。あれから、僕たちは狂ったようにお互いを……
 不意にドアが開けられて、僕は自分の小さな喜びが奪われたことを知った。
「あんたたち!」
 泣いているのか、怒っているのか、わからない母さんの叫び声。強引に僕たちを引き離し、母さんは力いっぱい僕の頬を叩いた。痛みは感じなかった。ただ、どうして僕たちを引き離そうとするのか、理解できなかっただけだった。
 こんなに愛しあっているのに、どうして、僕たちを引き離すの?
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……
 泣きながら、謝るだけの姉さん。どうして、謝るの? 僕たちは何かいけないことをしていたの?
 理解できない僕。


 暗い居間に、人の気配はなかった。足下には割れた皿やコップの破片が散らばっていて、鉢植えの観葉植物は倒れて土をばらまいていた。居間と居間に続くキッチンの様子は惨状としか言いようがなくて、まるで台風が通り過ぎた後のようだった。
 ソファを見る。胸に包丁を生やして、あお向けになって倒れている母さん。母さんの胸やお腹、腕や足からは血が流れだしていて、カーペットの上にドス黒いシミを作り出していた。
「母さん……」
 僕はそう呟くように言うと、母さんのそばにしゃがみ込んだ。足下に広がる血が不気味に僕の足を濡らすが、嫌な感じはなかった。
 そっと母さんの体に触れる。冷たい。少しも母さんの体は暖かくなかった。
 どうして、母さんは死んでいるんだろう? 僕はゆっくりと考え込みそうになって、気づいた。
 姉さんから引き剥がされた僕は、そのまま台所に行って包丁を取って……
「母さん?」
 姉さんの声に僕の体はビクンッと震えた。なぜか、姉さんの顔を見るのが怖かったが、それでも僕は顔を上げた。服もなにも着ずに、裸のまま姉さんは居間の戸口のところに立っていた。
「死んでるの?」
 僕はなにも答えなかった。答えないまま、僕は立ち上がって姉さんに近づいていく。フラフラと歩いていくその様は、まるで夢遊病患者のようだった。
「母さん……死んじゃったの?」
 わかっているのに、姉さんは確かめるのが怖いんだ。怖いから姉さんは僕から聞こうとしていているんだ。
 僕は姉さんの前に立って、姉さんの顔を見つめた。外にいる連中なんて関係ない。今、この世界にいるのは僕と姉さんだけのような気がして、現にこの世界にいるのは僕と姉さんだけだった。
 なにも言わずに、僕は姉さんの胸に額を預けた。姉さんが両手で僕の肩を優しく、抱きしめてくれる。言葉なんて必要ないと思った。僕に必要なのは姉さんだけで、姉さんも僕以外なにもいらないはずだった。
「いいのよ……」
 姉さんがなにを言っているのか、僕にはわからない。
「泣きなさい」
 僕は自分が泣いていることに気づいた。なにに、泣いているのか。どうして、泣いているのか。気づいたとき、僕は姉さんの腕の中で嗚咽をもらして泣いていた。
「僕たちは…僕たちは……」
 姉さんがゆっくりと髪をなでてくれる。姉さんの暖かさに包まれていく。
「そんなに悪いことをしているの?」
 瞬間、僕はこの一瞬を欲していたことを理解した。姉さんが僕の全てを理解して、優しく包容してくれる。僕はこの暖かさを求めていたのだ。
 僕たちは、冷え切っていた。お互いに暖かさを求めていた。僕と姉さんは互いに暖めあい……
 そして……


 警察の人が踏み込んできても、僕たちは裸で抱き合ったままだった。
 それが一番、気持ちのいいことだった。
 毛布を掛けられた僕たちが自分の意志で離れたとき、姉さんと僕は一緒に呟きかけてやめた。

 こんな想い……

the END


[index][mail]