最初に彼女がくれたもの
AIHARA Masami
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 教室のドアを開けて、僕は息を呑みこんだ。もう帰ったと思っていた彼女が、そこにいたからだ。窓側の机に腰をかけて、ゆっくりと落ちていく夕日を眺めている彼女。
 オレンジ色に染まる彼女の横顔を、たっぷり三秒間ほど見つめる。それから僕はわざとらしく咳払いをすると、彼女の注目を自分に集めようとした。
「あっ」
 果たしてたくらみは成功し、彼女は僕に気づいた。腰かけていた机からポンッと降りて、僕の顔を見やる。
「まだいたんだ」
 くりくりっとした大きな瞳で、僕を見つめる彼女。一気に僕の鼓動が速くなるのがわかる。それでも、僕は平静さを装いながら、ただの言葉じゃない、会話を長続きできるような言葉を捜しつづけていた。
「……まぁね」
 結果が、これだ。僕は自分の間抜けさというか、ボキャブラリの無さに、はなはだ失望していた。それでも、僕は彼女との会話をできるだけ長続きさせたかった。同じクラスとはいえ、ふたりっきりで話せるチャンスなんて、めったにない。
 このチャンスを大事にしたかった。
「君は? どうしたの?」
「委員会があってね。そのあと、ずっと……」
「一人でいたの?」
 こくっとうなずく彼女。
 時間はもう遅い。校舎に生徒はほとんど残っていない。こんな時間に彼女とふたりっきりになれるだなんて、ほんとに偶然だった。
 不意に、気づく。今を逃せば、もう言えないんじゃないかって……
 3年生の3月。卒業式まで数えるほどしかない。1年以上、抱いてきた想いを……ぶつけても……いいんじゃないのか?
「……ねぇ? 聞いているの?」
 彼女の声が僕を思考の海から、現実に引き上げた。
 どうやら、僕は最大の失敗を犯してしまったらしい。
「え?」
 答えた言葉が一番、最悪だった。おそるおそる視線をあげて、かすかにふくれている彼女の頬を見る。
「もういい、帰るね」
 鞄をつかんでつかつかとドアに向かって歩いていく彼女を、引きとめることすら僕にはできなかった。くるくると変わる彼女の感情に、ただ翻弄されるだけだ。「あ、あぁ」と声にもならない声はでるが、彼女を引きとめる気の利いたせりふは何もでてこない。
 不意に、ドアのところで彼女が振り返った。
 その表情はふくれっ面ではなかった。いたずらっぽい笑みを浮かべると、彼女は言ったのだ。
「意気地なし!」
 叫ぶように言い残し、去っていく彼女。半瞬、遅れて僕は走り出すと、ドアのところに手をかけて廊下を見やった。
 廊下の向こう、彼女が仁王立ちに立ってこっちを見ている。
 僕は、つばを飲み込んだ。
 彼女が最後のチャンスをくれたことに、気づいたのだ。言うべき言葉は決まっている。あとは……
 そして、僕は、最後にもう一度、息を呑みこんだ。
 そして、吐き出す。

 「好きだから……ぼくと」
 
 
The END


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